『ウルトラセブン』に登場するウルトラ警備隊は、地球防衛軍極東支部の精鋭部隊。地球防
衛軍極東支部は富士山麓の地下深部に設営された秘密要塞基地で……そう、紛れもなく軍隊な
のである。ちなみに、『ウルトラマン』の科学特捜隊は軍隊ではなく、どちらかといえば警察
に近い組織。ウルトラ警備隊のメカは惚れ惚れするほどカッコいいし、第一、”警備隊”なん
て名称からして、いかにもそれらしい。おまけに劇中、長官やら参謀やらが登場する。この響
き、ああ、軍隊だなあ! 彼らは、地球防衛軍という組織の広がりを感じさせてくれる。しか
も、長官を演じているのは、戦中の戦意高揚映画に出演していた俳優で、軍人の臭いがムンム
ン。
戦後日本の映画やテレビには、”軍隊タブー”があって、戦記ものや一部のドラマやSF作
品を除いては、軍隊が主役の作品はほとんど皆無だ。海外のSF番組、『スタートレック』や
『キャプテン・スカーレット』や『謎の円盤UFO』なんか、堂々と軍隊が主役になっている
のに。『ウルトラセブン』は、60年代後半という微妙な時代の日本で、「お子様番組」の仮
面を被りながらも、真正面から軍隊を主役に据え、対宇宙人戦争という戦時下にある世界を描
いた、希有なテレビシリーズだったと思う。地球防衛軍極東基地内の射撃大会が開催されたり、
落下傘降下訓練が行われたリ、主人公のモロボシ・ダンが独房に入れられてしまったり(!)
と、妙にリアルだった。
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これは、作り手たちが、戦争もしくは戦後の混乱を体験している世代だったからだと推察さ
れる。やっぱり、これぐらいすごい修羅場を経験していないと、突飛なことは考えられないの
だろう。『千と千尋の神隠し』の宮崎駿監督なんかも、戦後の動乱期を生きている。だからこ
そ、奇想天外な作品でも、心情的に迫るものがあるのだろう。個人的には、表層的な視覚的リ
アリズムを追求したハリウッド製の勧善徴悪的大作より、何十年も前に製作された円谷作品群
の方が、遥かに身につまされる。とくに、これまで絶対ありえない事態とされた、自衛隊の戦
地派遣が現実のものとなるようなこのご時世では、頭の中に埋め込まれた原体験、つまり『ゴ
ジラ』や初期ウルトラ・シリーズが鮮烈に蘇り、何だか、これらの作品群が、危機管理の心構
えの手引きだったのでは、という気さえしてくるのだ。この道はいつか来た道……一種のデジ
ャ・ビュに近い感覚である。
『ウルトラセブン』以後、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』など、軍隊を舞台に
した作品が出てくるが、これらはアニメで、しかも軍隊組織より個々のキャラクターの印象が
強い。しかも、ストーリー展開が多分にナニワ節的かつ情緒的だ。
『ウルトラセブン』のすごいところは、軍隊を主役に据えながら、彼らを悪役にすることも
辞さない点だ。思いっきり、反体制的な作品も少なくない。しかも、甘っちょろいセンチメン
タリズムに陥ることなく、厳しい現実を見せつける。子供にとっちゃ、とても酷な話で、夢も
希望も見事に打ち砕かれることが多かった。『ウルトラセブン』を観て、何度、人類に絶望し
たかわからない
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昭和45年10月10日〜11月13日
に朝日新聞に掲載された
スペル星人に関する記事
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さらにひとつ、『ウルトラセブン』にはタブーがある。第12話『遊星より愛を込めて』と
いう作品が、欠番にされているのだ。このエピソードでは、放射能に汚染され、血液が濁って
しまった宇宙人たちが、地球人のきれいな血を求めて襲来。彼ら、スペル星人は、地球人の若
い女性と疑似恋愛をし、腕時計をプレゼントする。実はこの時計は、人間の血を採取する装置
だった。スペル星人のデザインは、人間型の真っ白なボディにところどころケロイドのような
模様をあしらった、大胆なもの。ところが1970年10月、ある女子中学生が、子供用の雑
誌に掲載されたスペル星人の絵に”ひばくせい人”のサブネームがついていることに疑問を呈
した。これが発端となって、広島県原爆被害者団体協議会が円谷プロや出版社に抗議、以後作
品は抹殺された。70年以降の怪獣関連出版物には、スペル星人の影もかたちもない。
1970年は、怪獣たちにとっても、大異変の年だった。タブーを恐れず、果敢な挑戦を続
けた円谷英二が、この年1月に68歳の生涯を閉じたのだ。しかし彼が手がけた作品群は、永
遠に不滅である。生誕100周年、万歳! (続く)
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