活動ゴジラ・怪獣関連特撮ファン・常岡千恵子の怪獣史観+α

特撮ファン・常岡千恵子の怪獣史観

『ゴジラ』の知られざるルーツとその子孫たち<3>



 1942年12月8日。太平洋戦争開戦1周年を記念して、映画『ハワイ・ 
マレー沖海戦』が公開された。海軍航空隊予科練に入営した少年が、一人前の 
航空兵に成長し真珠湾攻撃を遂行するまでを、たんたんとドキュメンタリー・ 
タッチで描いた戦意高揚映画で、往年の大女優、原節子も出演している大作で 
ある。「自分のことごとくは、賢くも大元帥陛下のために捧げ奉ったものであ 
る」なんてセリフが飛び交う、ビンビンの国策映画だが、最後のクライマック 
スで真珠湾攻撃のシーンが数分程度登場する。真珠湾へ向けて山脈沿いに飛行 
する攻撃隊は出色の出来で、真珠湾爆撃シーンも、なかなかの迫力。驚くほど 
特撮カットが少ないにもかかわらず、公開当時においては、文句なしの日本映 
画史上最大の特撮スペクタクルであった。
 

 そして何を隠そう、この映画の特殊技術を担当したのが、『ゴジラ』や『ウ 
ルトラマン』の生みの親、円谷英二だったのだ! 1919年に撮影助手とし 
て映画界入りした円谷は、さまざまな映画の撮影を担当したのち、特殊技術の 
分野を開拓する。そして、国策映画も含むありとあらゆるジャンルの作品で、 
才能を発揮。とくに『ハワイ・マレー沖海戦』は、前代未聞のスケールで製作 
された特撮映画の金字塔であり、日本のミニチュア技術を飛躍的に進歩させた 
作品だった。戦後、円谷は戦争協力者として追放処分を受けた。そう、現在す 
っかりお子様向けの娯楽となった怪獣映画のルーツは、何と、戦意高揚映画だ 
ったのである! そして、『ゴジラ』の迫真の破壊シーンは、『ハワイ・マレ 
ー沖海戦』なくしては、生まれ得なかったのだ。 
 さらに、運命のイタズラか、『ゴジラ』製作中の1954年7月1日に、紆 
余曲折の末ようやく自衛隊が発足。『ゴジラ』には、産声を上げたばかりの自 
衛隊の雄姿が、焼き付けられている。作品中で「防衛隊」なる名称を与えられ 
た彼らは、ホンモノの機関銃をブッぱなしてゴジラを迎撃。航空自衛隊はまだ 
戦闘機を保有しておらず、一足先にミニチュアのF86Fセイバーが、ゴジラ 
に戦いを挑んだ。また、海上保安庁も協力を惜しまず、巡視船を何隻も繰り出 
すなど、「賛助」の面目躍如! 

 まだテレビが登場する前の、映画の全盛期に生まれた『ゴジラ』は、まさし 
く時代の申し子だった。現在の閉塞しきった社会状況とは異なり、当時は一般 
国民も時事問題に高い関心を持っていた。公開時はちょうど造船疑獄が闇に葬 
り去られた直後で、政治不信に陥った人々は、ゴジラが国会議事堂をなぎ倒す 
場面に拍手喝采を送ったという。 

つづく