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『ウルトラマン』の作品群は、戦時下の世界を描いた硬質な『ウ ルトラセブン』とは異なり、あくまでも平和時を設定し、科特隊も 軍隊ではない。そのため、シリーズ全体がホンワカとした牧歌的な ムードに包まれ、ウルトラマンの優しさが強調されることも多い。 その中にあって、あえて冷酷なウルトラマンを登場させた「故郷は 地球」は、ひときわ異彩を放つ。1960年代半ばという冷戦たけ なわの時代に、反体制派の脚本家が書いた先鋭なストーリーと、フ ランスのヌーヴェルバーグ映画の影響を受けた鬼才監督が創造した アヴァンギャルドな映像は、あまりにも生々しく、今も涙なしには 観られない。 |
それにしても、この作品の誕生から三十数年を経た現在も、世界 があまり変り映えしていないことに、愕然とさせられる。国家間競 争の犠牲者となったジャミラは、文明間の争いの犠牲になった人々 と、重なりはしないだろうか? アフガン復興支援国際会議直前に 発生した、無差別テロを思わせる連続爆発事件は、何だったのだろ う? あの日の雷鳴は、大国の論理に振り回された犠牲者たちの魂 の叫びではなかったか? そして、ソルトレークシティー・オリン ピック開会式に運ばれた、世界貿易センターの瓦礫の中から発見さ れたという星条旗は、間一髪でジャミラの手を逃れた、あの旗では? しかしながら、どうやら現在の日本は、もはやフィクションの及 ばぬところまで行きついてしまったようだ。この国では、犠牲者に 美しい文句を捧げることすらなく、人々はこざかしい内向きの政争 にうつつを抜かすばかりであった。 Special thanks to Mr Kenjiro Kato & Ms Hiroko Morohashi, for their invaluable suggestions and moral support |
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