|
北アルプスの剣岳は、今でこそ、一般登山コースがあり、鎖などが設置されてい
るため、それほど難しい山ではない。しかし、この映画の時代のように、情報が
なく、どこから登ってよいのかわからないと、同じ剣岳でも、その登頂行はドラ
マチックだ。当たり前のように予定通り安全に頂上へ登って帰ってこれる人生
と、何ヶ月もかけて未知のものにトライする人生、どっちが楽しいか。
現代の情報氾濫時代、自ら情報を封鎖して、自分にとって未知のジャンルを持
ち、未知への冒険を楽しむのもよいかも。登山に限らず、海外旅行とかでもなん
でも、事前にたくさんの情報収集して行き、自分の情報の確認作業をするような
旅が人気の昨今だが、あえて、ここで情報封鎖という趣味人生やってみても楽し
いぞって。
|
|
下の写真は、剣岳ではないが、1983年1月にカトケンが初登頂した北アルプ
ス無名峰である。雪が深く積もると、夏には簡単に登れなかった沢で登れるよう
になったりする。そんな沢を見つけて、ヒョコヒョコと登っていったら、こんな
日本っぽくない山を見つけたのでトライした。1983年1月3日がカトケン初
登頂でした。
|
|
すでに誰かが登ったがものであるかどうかは、どうでもいい。自分にとっては、
初めて見つけた山で、地図上では地形が表現されていない無名峰だったのだか
ら。先の情報ナシで登ってく登山は、ワクワク度が凄い。でも、一歩一歩の恐怖
もまたまたこれまた・・・。雪崩、クレバス、落石、崩落・・・。
|
|
1982年10月21日
カトケンの剣岳初登頂は、映画の中では落石に阻まれたシーンのある三ノ窓雪渓
から、チンネ岩峰北側へまわり、北方稜線を経て、北から剣岳へ登った。当時
は、あまり情報のないルートだったが、まったくないわけではなかった。
このルート、それほど落石多いわけではなかったけど、落ちてくる岩は、かなり
大きかったので、それが岩に当たって砕ける破片にも注意。
雪渓上の落石は、音が「ドドッドドッドドっ、ブゥゥゥオオォォォン」と静かな
重量感がある。
ガラガラガラっていう音ではないので、常に上向いて要警戒ね。
|
|
三の窓雪渓を稜線まで登ると、翌朝は雲海になっていた。
1982年10月22日
|
|
剣岳北方稜線のカトケン。向こうが剣岳の頂上。
残念ながら、北方稜線から見る剣岳は、格好良くなかった。
1982年10月22日。
|
|
別山尾根(剣岳の南側)から見た剣岳。
こっちのほうが、北方稜線から見るのより格好いい。
1982年11月9日。
1982年には、何度も、剣岳地域へ来たのだが、カトケンが、それ以上に剣岳
攻めをしなくなったのは、関東からだと、電車賃が高いことと、山へ入るまでの
時間がかかるため。富山まわりでの入山ルートだったから、なにしろ学生くん
だったカトケンにとって、電車賃とバス代の負担が大きかったので。で、実験の
多い理工学部の学生でもあったため、時間もキツい。ってことで、松本から入れ
る槍穂高連峰のほうのファンになってゆく。
まあ、青春時代の行動なんて、こんなていどの理由で、どこのファンになるか
変ってくるよね。
|