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映画「剣岳、点の記」連想、27年前の青春




北アルプスの剣岳は、今でこそ、一般登山コースがあり、鎖などが設置されてい
るため、それほど難しい山ではない。しかし、この映画の時代のように、情報が
なく、どこから登ってよいのかわからないと、同じ剣岳でも、その登頂行はドラ
マチックだ。当たり前のように予定通り安全に頂上へ登って帰ってこれる人生
と、何ヶ月もかけて未知のものにトライする人生、どっちが楽しいか。

現代の情報氾濫時代、自ら情報を封鎖して、自分にとって未知のジャンルを持
ち、未知への冒険を楽しむのもよいかも。登山に限らず、海外旅行とかでもなん
でも、事前にたくさんの情報収集して行き、自分の情報の確認作業をするような
旅が人気の昨今だが、あえて、ここで情報封鎖という趣味人生やってみても楽し
いぞって。
下の写真は、剣岳ではないが、1983年1月にカトケンが初登頂した北アルプ
ス無名峰である。雪が深く積もると、夏には簡単に登れなかった沢で登れるよう
になったりする。そんな沢を見つけて、ヒョコヒョコと登っていったら、こんな
日本っぽくない山を見つけたのでトライした。1983年1月3日がカトケン初
登頂でした。
すでに誰かが登ったがものであるかどうかは、どうでもいい。自分にとっては、
初めて見つけた山で、地図上では地形が表現されていない無名峰だったのだか
ら。先の情報ナシで登ってく登山は、ワクワク度が凄い。でも、一歩一歩の恐怖
もまたまたこれまた・・・。雪崩、クレバス、落石、崩落・・・。
1982年10月21日

カトケンの剣岳初登頂は、映画の中では落石に阻まれたシーンのある三ノ窓雪渓
から、チンネ岩峰北側へまわり、北方稜線を経て、北から剣岳へ登った。当時
は、あまり情報のないルートだったが、まったくないわけではなかった。
このルート、それほど落石多いわけではなかったけど、落ちてくる岩は、かなり
大きかったので、それが岩に当たって砕ける破片にも注意。

雪渓上の落石は、音が「ドドッドドッドドっ、ブゥゥゥオオォォォン」と静かな
重量感がある。
ガラガラガラっていう音ではないので、常に上向いて要警戒ね。
三の窓雪渓を稜線まで登ると、翌朝は雲海になっていた。
1982年10月22日
剣岳北方稜線のカトケン。向こうが剣岳の頂上。
残念ながら、北方稜線から見る剣岳は、格好良くなかった。
1982年10月22日。
別山尾根(剣岳の南側)から見た剣岳。
こっちのほうが、北方稜線から見るのより格好いい。
1982年11月9日。


1982年には、何度も、剣岳地域へ来たのだが、カトケンが、それ以上に剣岳
攻めをしなくなったのは、関東からだと、電車賃が高いことと、山へ入るまでの
時間がかかるため。富山まわりでの入山ルートだったから、なにしろ学生くん
だったカトケンにとって、電車賃とバス代の負担が大きかったので。で、実験の
多い理工学部の学生でもあったため、時間もキツい。ってことで、松本から入れ
る槍穂高連峰のほうのファンになってゆく。

まあ、青春時代の行動なんて、こんなていどの理由で、どこのファンになるか
変ってくるよね。