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1942年春、こう着したレニングラード戦線では、独ソ両軍は700〜800メートルの間 隔で塹壕陣地を築き、にらみ合いを続けていた。雪解けが始まり、粘土質の土壌はあ らゆる車輛の足にからみついて、行動不能にした。独ソ両軍が得意とする戦車戦闘も お手上げだ。ときどき、メガフォンでお互いに罵り合い、撃ち合いもしたが、けだる い日々を過ごしていた。 こうしたとき、ロシア兵は強い。ろくな食事もなく、煙草も足りないとなるとドイ ツ兵は不平たらたらだが、ロシア兵たちは必ず1個小隊に1台は持っているアコー ディオンやギターを引っ張り出し(ロシア軍は、いまだにそうだ。官給品でもないの に、どうやって調達するのかは謎だ)、歌を唄いだす。 …♪Расцветалияблони и груши…(りんごと梨の花咲き始 め…) ロシア兵の歌を、向こう側の塹壕でドイツ兵たちはじっと聞いていた。ひとしき り、歌が終わると、拡声器でドイツ兵が呼びかけてきた。 「おい! ルス! イヴァン! もう1回やってくれ…」 ※「ルス」「イヴァン」…戦時中、ドイツ兵がロシア兵を指す際、使った俗称。「露 助」のようなもの。 |
前線慰問で「カチューシャ」を唄うルスラーノヴァ(1941年) …1938年生まれの「カチューシャ」(Катюша)は、不思議な力を持つ歌だ。モ スクワ国立ジャズ・オーケストラの音楽監督マトヴェイ・イサーコヴィッチ・ブラン テル(1903-1990)が詩人ミハイル・ヴァシリェヴィッチ・イサコフスキー (1900-1973)の作った歌詞に曲をつけたもので、初演から大ヒットした。 歌詞は、イサコフスキーの郷里である西部ロシアのスモレンスク近郊の村の近くを 流れるウグラ川の岸辺を舞台にしたものだ。 【直訳】 林檎と梨の蕾がほころび 川面に霧が広がっていた カチューシャは岸辺に歩み寄る 高く切り立った川崖へ (中略) ああ、歌よ 娘の歌よ 太陽を追って飛んでいけ 遠い国境の戦士のもとへ カチューシャ想いよ届け (後略) 【「カチューシャ」初演のウ゛ァレンチーナ・アレクセイェウ゛ナ・バチシチェーウ゛ァ歌唱/mp3録音】 http://www.sovmusic.ru/m32/katyusha.mp3 「カチューシャ」が生まれた1938年は、ソ連国民が戦争の歩みに警戒を強めていた時 期だった。共産党当局が「ファシズムの脅威」をプロパガンダするまでもなかった。 1936年からソ連が義勇兵を送るなど国をあげて支援していたスペイン人民戦線政府 は、ヒトラーのドイツ、ムソリーニのイタリアの支援を受けて反乱を起こしたスペイ ン植民地軍司令官フランコの軍勢に敗北しつつあり、極東ではソ連―朝鮮国境地帯の ハサン湖で日本軍とソ連軍が衝突した(張鼓峰事件)。 歌詞には、西部国境の守備につく恋人を思う田舎の村娘カチューシャ(エカチェリー ナの愛称。英語ではキャサリン、仏語でカトリーヌにあたる)が高い川岸に立って遠 い彼方を見つめる様が描かれている。流麗なメロディにのせられた美しい詩が聴衆の 心をとらえたのだ。モスクワ国立ジャズ・オーケストラは、専属女性歌手バチシ チェーヴァによる定番演奏曲として「カチューシャ」を演奏し、映画館の幕間や高級 レストランなどの演奏で人気は高まる一方だった。 その中で、「これこそロシアの歌だ!」と感銘を受け、自分のレパートリーに入れた 女性歌手がいる。伝統的ロシア民謡歌手であるリディア・アンデレイェヴナ・ルス ラーノヴァ(1900-1973)だ。彼女は、楽団員にこう語っている。 「…この歌は、まったく覚えるのに苦労がない。自然に私の中に入ってくる。ロシア 人である私に同化する」 既に著名な民謡歌手であったルスラーノヴァは、やや現代風だった「カチューシャ」 に独特の民族色を漂わせる演奏を行い、好評を博した。 【リディア・ルスラーノウ゛ァ歌唱「カチューシャ」/mp3録音】 |
ソ連の英雄女性兵士 ルスラーノヴァの歌唱で、「カチューシャ」は国民的人気曲となり、「新しい民族音 楽」とも呼ばれた。やがて、1941年6月22日、ドイツ軍がソ連国境を超えた奇襲攻撃 をかけて独ソ戦が始まると、「カチューシャ」はいっそう広まることになる。 出征兵士とそれを見送る家族でごった返すモスクワのベラルーシ駅(モスクワなどロ シアの大都市では、その鉄道の向かう方面の名前が始発駅につけられている)では、 学生バンドが伝統的な赤軍歌と共に「カチューシャ」をさかんに演奏した。 ルスラーノヴァは「カチューシャ」を看板曲にひっさげて、精力的に前線慰問演奏を 行った。時には野外コンサート中に、ドイツ空軍機の襲撃を受けたことすらあった。 しかし、「カチューシャ」は前線のロシア兵士の愛唱歌となり、これは敵側のドイツ 兵士まで耳にするようになったのである。 軍隊の中では、「カチューシャ」の替え歌がさかんに作られ、歌われた。有名なのが 「カーチャ・イヴァーノヴナの歌」だ。コーカサス地方から出征した勇敢な女性兵士 をモチーフにしたもので、歌詞はこんな具合。 ♪林檎と梨の蕾はほころび 川面に霧が広がっていた カーチャ・イヴァーノヴナは前線へ出てゆく ファシスト侵略者をやっつけるため 激しい戦いへ 戦場へ よく知られていることだが、ソ連軍前線部隊にはどこの国の軍隊よりも数多くの女 性兵士が従軍していた。衛生兵、運転兵、整備兵はもとより、狙撃兵、戦車兵、高射 砲兵から戦闘機パイロットまで! 第二次世界大戦でのソ連女性兵士の戦死者数は 100万人にのぼる。 「カチューシャ」は、特に同じ名前をもった女性兵士のいる部隊で大人気だった。 戦闘機エース・パイロット、カーチャ(カチューシャの短縮形)・ブダノヴァ中尉も 替え歌で唄われた一人だ。 「お母さん、私の部隊では、みんな『カーチャの歌』(「カチューシャ」の替え)を 唄うのが大好きなの」 ―こんな手紙を書く無数の「カチューシャ」がいたようだ。 この歌の人気ぶりは、ソ連軍の誇る強力な新兵器=多連装ロケット自走砲(BM-8、 BM-13)に「カチューシャ」というニック・ネームがつけられたことでも偲ばれる。 とんでもない轟音と光を発して、短時間のうちに大量のロケット弾を敵陣に降らせる 「カチューシャ」が発射されるとき、前線でこれを眺めるソ連兵士たちは、こう叫ん だ。 「フリッツ(ドイツ兵への蔑称)どもめ、『カチューシャ』の歌をとくと聴きやが れ!」 |
ソ連軍の強力な多連装ロケット自走砲「カチューシャ」 ちなみに、ドイツ将兵は「カチューシャ」ロケット自走砲を「スターリンのオルガ ン」、死の演奏曲として怖れたのである。 やがて、ヨーロッパ大陸から連合軍が一掃されている一時期(1941〜44年)、唯一 東部戦線で強大なドイツ軍に対峙するソ連軍と国民を支援しようというキャンペーン がアメリカやイギリスで展開され、東部戦線の戦況記録フィルムと共に抵抗を象徴す る歌曲の1つとして「カチューシャ」が知られていくようになった。イタリアでは、 同じメロディに違う歌詞がつけられ、「風がなる」というパルチザン軍歌として広 がった。 そして、1945年5月9日にドイツが連合国側へ無条件降伏調印をすると、リディヤ・ ルスラーノヴァはベルリンの激戦地跡・帝国議事堂前でソ連軍楽隊の伴奏の下、「カ チューシャ」を唄った。勝利に酔う多くのソ連兵士と将来への憂鬱に打ちひしがれた ドイツ市民の前で…。 名曲「カチューシャ」を生んだ作曲家ブランテルと作詞家イサコフスキーのコンビ は、独ソ戦中もいっしょに多くの名曲を創作した。「バルカンの星の下で」「前線の 森で」などだ。いずれの歌曲もソ連兵士たちと共に東部ヨーロッパを席巻し、戦後は アジアを含めて世界中に広がった。 その中でも「ロシアの歌といえばこれだ」というくらい、今日の世界で知られてい るのが「カチューシャ」である。その意味で、素朴なロシア娘の心情を唄った「カ チューシャ」こそ、真の勝利の歌だといえよう。 (参考―カチューシャの原詩と直訳) Катюша(カチューシャ) (1) Расцветалияблони и груши, Поплылитуманынадрекой. ★ВыходиланаберегКатюша, Hавысокийберег, накрутой. (2) Выходила, песнюзаводила Простепногосизогоорла, ★Протого, котороголюбила, Протого, чьиписьмаберегла. (3) Ойты, песня, песенкадевичья, Тылетизаяснымсолнцемвслед ★И бойцунадальнемпограничье ОтКатюшипередайпривет. (4) Пустьонвспомнитдевушкупростую, Пустьуслышит, каконапоет. ★Пустьонземлюбережетродную, А любовьКатюшасбережет. ※(1)をもう一度 (1) 林檎と梨の蕾がほころび 川面に霧が広がっていた ★カチューシャは岸に 歩みよる 高く切り立った川崖へ (2) 唄いながら 歩んでいく ステップに飛ぶ鷲を 唄う ★そして 愛する人のことを 遠くから届く 便りのことを (3) ああ歌よ 娘の歌よ 太陽を追って 飛んでいけ ★遠い国境の 戦士のもとへ カチューシャの想いよ 届け (4) 娘の想いを 思い起こせ 娘の歌に 耳をかたむけよ ★聖なる祖国 守る戦士へ カチューシャよ 永久の愛を |
「カチューシャ」原語歌唱を指導しちゃう在日ロシア軍楽隊パリャーノチカ |